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救われた一人の命と消えた三人の命 [今日の出来事]

『キャプテン・フィリップス』を観た。

2009年にソマリア海域で海賊の人質となった船長の回想録が元となった映画。
観ようと思った第一の理由は配給がソニー・ピクチャーズ(コロンビア)であったこと。ソニー・ピクチャーズだからといって必ずしも観るわけではないが、ここ最近読んでいる塩野七生著『日本人へ』に繰り返しソマリア沖の海賊の件が触れられていたからである。(あくまでも「パクス・ロマーナ」崩壊後の地中海の海賊つながりだけど)

実話を元にしているからだろうか、『ゼロ・ダーク・サーティ』を観た時に感じた暴力、大国主義に対する嫌悪感を感じずに済んだ。例えそれが本音では国の威信だったとしても、たった一人の人命を救うために動く国の国民であるアメリカ人と、無政府状態で生きるために海賊行為をやめないソマリア人の運命の違いを出来るだけ平等に描き出している。それでもラストは大国の正義になってしまうのだけど。

海賊が狙った船がアフリカへの支援物資を載せていたのがなんとも皮肉。「職業はなんだ?」と問う船長に、「大国の船が沖合の魚をごっそり獲っていく」とつぶやくセリフが胸を突く。ソマリア沖で何が獲れるか知らないが、日本だって無関係ではないだろう。

食糧支援そのものが悪いわけではない。しかし、自立支援になるかといったら否だろう。人間はいず自らの足で立ち支えられるようにならなければ腐る、それは飢餓や圧政に苦しむ国ばかりではなく、先進国だって同じだ。ソマリアの苦境、無政府状態になったのは日本のバブル崩壊と期を同じくしている。日本では失われた20年というが、20年経っても食料支援が続いていた(続く?)。

塩野七生は、地中海世界で海賊に身をやつしたままか経済的に大成したかの違いは、一方は天然資源だけが生活の糧であり一方は手工芸品で交易が出来たことであり、海賊の出現は法の精神、最低限必要なルールをみんなで守ろうという空気が社会全体から失われてしまったことが要因と書く。貧困民が必ずしも他者の財産や生命を奪う海賊になるわけではない。持てる者 vs 持たざる者というのも違う。人間は一人では生きていけないから、社会全体に生きていけるだけの職があるどうかが鍵だという。そう考えると日本の未来も大差なく、余計に暗い気持ちになる。

エンタテインメントとしておススメできる映画ではないけれど、『キャプテン・フィリップス』のトム・ハンクスは名演だと思う。正義感溢れリーダーシップを発揮する船長と海賊に拘束されて人間の弱さをみせる姿が違和感なく伝わってくる。完全無敵なヒーローが敵を圧倒する姿はスカッとするかもしれないけど、普通のその他大勢にとって別世界だ。普通の人が何かに立ち向かう姿が勇気や希望を与えてくれる。
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