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「9・11」の容疑者とされた男の殺害 映画『ゼロ・ダーク・サーティ』 [今日の出来事]

ビンラディンの殺害計画、『ヘルプ〜心がつなぐストーリー〜』のジェシカ・チャステインが主演というぐらいの予備知識で観た映画『ゼロ・ダーク・サーティ』。
ビンラディンの殺害を知ったのは確かテレビのテロップだったと思う。ちょうど年度決算準備の超繁忙期で、オバマ大統領とクリントン国防長官が作戦の様子をLiveで確認していたこと、それ以上に裁判もなしで容疑者を他国で殺害したことに違和感を覚えたぐらいしか、この事件の印象は残っていない。

そんな先入観なしではあったけど、この映画の製作はコロンビア・ピクチャー、つまりアメリカの視点で描かれる「9・11」の終結なわけで、実際どう落とし前をつけたのか、なんて正当かするのか、ちょっと意地悪な気持ちで見始めた。

映画は、「9・11」の悲劇は必要以上に追わず、ビンラディンの行方を信念で(執念深く)追う女性分析官の視点で進む。当初尋問という名の拷問に顔を背けていた彼女が、いつしか自分でも拷問を真実追求の手段として躊躇なく用いるようになる。
「正義」という言葉が人間の善悪を簡単に覆すことに、恐ろしさを覚えるけど、そんな観客の気持ちは置き去りに、アルカイダメンバー達から拷問によって情報を引き出していく様が描かれる。誰にとっても同じ正義というものは存在しないけど、首謀者とされているだけの容疑者をあぶり出すために、アメリカは大きな犠牲を払ったなと感じる。

2001年の同時テロから、2011年5月1日に殺害が実行されるまで10年の歳月があったわけで、映画は女性分析官の成長が、ビンラディンを発見するプロセスの中で語られる。しかし、ビンラディンの殺害、その時何が実際にあったか?がやっぱり主軸で、なぜ彼女が優秀な分析官(諦めないのも優秀さに欠かせない要素だとは思うけど)として抜擢されて、あれ程までに強い気持ちで追い続けたのか、ちょっと説明が足りない。悪い映画とは思わないけど、戦闘シーンの連続に気が滅入った。

最後の彼女の涙、あの表情をどう受け取ったらいいのか、人によって受け止め方が違うだろう。
首謀者を殺しても、テロとの戦いが終わらないこと、彼女が予見していた涙ではなかったろう。
あれから、世界はちっとも平和になっていない。
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